評価されることへの恐怖
Lafしなブログ先日桃の収穫が終わりました。 食べ物をつくる側は 「美味しい」というのは感覚なので 甘い、酸っぱい、かたい、やわらかい… 果樹園の木を同じように育てているのに どの木も同じように美味しくなってほしいと願い育てる 大きい実も 「美味しい」と言っていただくために 美味しいかどうかの評価は私には恐怖なのです。。。 『評価や恐怖は自分を成長させるためにある』 大人になってもこんな体験をさせてくれる果樹園に感謝です。
終わってとってもホッとしている自分に気がつきました
収穫は私には大きなプレッシャーなのです。
「美味しい」と言っていただくことが評価になります。
人それぞれ違います
などなど、感覚で表現されることが多いので、
ある人が「美味しい」と感じでも
別の人は「そうでもない」と感じる。
順調な成長をする木もあれば
途中で弱ってくる木もある。
小さい実も
美味しい実も
あまり美味しくない実も
全部素晴らしい。。。
食せるようになるのは木のお蔭。
一番良いタイミングで収穫出来るかどうか
美味しくないのは私のせい。
怖くて途中で投げ出したくなります。。。
毎年、ここを超えることで成長させてもらっています。