待つことは思いやりかもしれない
Lafしなブログスーパーやコンビニでレジに列ができると、すばやく他の店員さんがきて隣のレジをあける。 「待つ」ことがとても少なくなった気がする 熊本の地震で、水や食糧支援に長い列の映像が流れている。 日本での災害の時には暴動が少ないようだ 「待つ」ことは、お互いさまで思いやりなのかもしれないなと 日常生活なら待てないことも 待っていてくださる方を思って支援する そこには『思いやりの心』があるなぁと感じました。 どうか、早く地震活動がおさまりますように。
2~3人待つだけで「大変お待たせしました」と言われる。
なにか疑問に思ったらその場でスマホを取りだして調べる。
わからないとすぐにLINEで知り合いに聞く。
ネットの買い物は翌日到着。
同時に待てなくなっている気がする。
きっと日本人のDNAには世界の中でも
「待つ」ことができる人種なんじゃないかな?
ふと思った。
『お互いたいへんなときだから、待ってるよ』なのかもしれない
支援の活動をしてくださる方を思って待つ